あらすじ

 2975年、『コニシ』ポリスと呼ばれる場所で、とあるマインド・シードからひとりの孤児が生まれる。
デジタル化された人々が住むポリス連合で、孤児は友人とともに放棄されたロボットの体を借りて、
肉体人のコミュニティと出会う。

21年後、月の観測所が連星中性子星からの重力波を検知。やがて、太陽系に壊滅的なガンマ線バーストが襲来することが判明します。孤児たちは肉体人に警告しようとしますが、疑いの目を向けられます。
彼らの説得も功を奏せず、地球は荒廃し、ほぼすべての生命が死に絶えました。そして、ポリス市民らは従来の物理学への懐疑から、太陽系の外に目を向け始めます。

ワームホールを用いた星間航行が現実的でないと悟り、
『カーター・ツィマーマン』ポリスは自身のクローンを作って、星々に播種します。
そして、彼らは宇宙そのものを数学的対象として探求していきます。

多様化した人類

この物語では人類は生身の人間だけでなく、大きく3つの形態に分かれています。

肉体を持つ人類:従来の肉体を持つ人々。遺伝子改変により肉体的にも文化的にも断片化が進んでいる。
機械身体の人類:人間としての意識を持つロボット。宇宙探査に乗りだしている。
デジタル化された人類:デジタル空間上の意識体。彼らに焦点を当てて物語が展開されます。

三者三様といったところで、文字通り住む世界が違う”元”人類。
肉体人は遺伝子改良により、種によってはもはや意思疎通が困難なほどに文化的、言語的な隔たりがあります。
非肉体人の2つは、互換性があるようですが、物質世界とデジタル世界のどちらに重きを置くか、という思想に大きな違いがあるようです。
 ポリス市民は価値ソフトというソフトウェアによって自分の思想まで容易に変容させることができます。それこそ、まったくの別人にも。

ガンマ線バースト

 物語の転機となるのが、トカゲ座の連星中性子星からのガンマ線バーストです。
この災厄によってもっとも被害を被ったのは肉体人です。地球上に住む彼らはこの宇宙規模のエネルギーの奔流に成す術もありません。結果的にこのイベントで肉体人はほぼ絶滅します。
 この出来事はデジタル空間に住まうポリス市民にも衝撃が走ります。物理的にではありません(もちろん彼らの意識を走らせているサーバーも太陽系に存在するでしょうが)彼らの信ずる物理モデルにです。本来、このガンマ線バーストは、実際に起こるのは700万年後と試算されていたからです。しかし予見していたよりもずっと早くに2つの中性子星は衝突しました。ずっと彼らは自らの宮殿に引きこもり、物理法則の解明に心血を注いできました。そして宇宙をシュミレートし、自身の存在さえ設計できました。そんな彼らの万能感が打ち砕かれたのです。

ディアスポラ(離散)

 ガンマ線バーストという生命にとって致命的な現象は、宇宙に安全な場所はないという現実を人類に突きつけました。たとえデジタル空間の住人でさえ現実世界でインフラが破壊されれば終わりです。そこで彼らは太陽系の外に活路を見出します。

 肉体人は環境に適用するために遺伝子改良によって、リスクを分散する方法をとりました。
一方、ポリス市民は自身を複製することができます。バックアップとして記憶を保存しておけるのはもちろん。
並列で存在することも可能です。意識の連続性という問題はありますが、作中のポリス市民は一部を除き、あまり気にしていないようです。当初はワームホールによって、星々を渡る案があったのですが、粒子加速器による電子同士の衝突実験でワームホールの端と端を繋ぐことは出来ず、理論の見直しを迫られます。

コズチ理論

 作中で物理学の基礎のように取り扱われている架空の理論。素粒子それ自体がワームホールの口であり、
宇宙の最小単位を粒子そのものではなく、相互作用だと説いています。
 さらに発展系のモデルでは宇宙が高次元構造の中に埋め込まれていることを発見します。つまり私たちの3次元空間+時間は高次元構造から見た”断面”でしかないのです。この高次元構造を経由して別宇宙と接続可能。
これにより、別次元の宇宙への道が開かれました。

究極のトランスヒューマニズム

 この小説のタイトルである『ディアスポラ』は、コミュニティの離散を意味する言葉らしい。
作中では、ガンマ線バーストという外的要因により人類は星々に散らばる。しかし、遺伝子をいじって環境に適用しようとした肉体人は宇宙規模の災害に対応できませんでした。あくまで惑星上での局所的な適応でした。
 一方でポリス市民はどうでしょう。彼らの意識を走らせているサーバーは恐らく地中にあり、影響は少ない。
肉体人と大きく違うのは意識の連続性を重視するかどうか。自身の1000ものコピーを作り出し、それを播種することで、生存確率を上げています。さらに発展系コズチ理論により、多次元宇宙にさえ手を伸ばします。環境に適用するために、またはその先にある可能性のために。

 孤児は旅路の果てにで”すべては数学なのだ”という境地にたどり着く。自身の内で探求を続けることにした。もとはバイナリのレベルから作り出された生命体としては当然の帰結だったのかもしれない。
 孤児と袂を別った友人たちとの対比も面白い。元肉体人の父をもつ同行者。彼はガンマ線バーストを生き延びた父から生まれたポリス市民で、父同様に物質世界に意識が向いていた。しかし、探索の果てに、ついには自身を終了させる選択をする。
 かつて孤児を唆して、共に肉体人を救いに赴いた友人も、失意の後に、価値ソフトで自信を書き換えてしまった。
 どちらの友人も情報生命ですが、両者とも宇宙を”主観”で見ていた。物質世界に重きを置く者にとって、宇宙は膨大すぎるのかもしれない。

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